今回の論文は、線虫(C. elegans)の論文です。
「記憶を移す」、と言うとSFの世界の話のようですが、
どうやら、線虫の世界では記憶が個体(世代)を超えて伝えられるようです。
“The role of the Cer1 transposon in horizontal transfer of transgenerational memory”
(世代間の記憶の水平伝達におけるCer1トランスポゾンの役割)
RS Moore et al., Cell. 2021 Sep 2;184(18):4697-4712.e18. doi: 10.1016/j.cell.2021.07.022. Epub 2021 Aug 6.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/34363756/
・線虫は緑膿菌に対する忌避行動を学習し、この記憶は4世代まで水平に伝播する。
・この学習にはCer1レトロトランスポゾンがコードするウイルス様粒子が関与する。
・Cer1は生殖細胞系列からニューロンへの情報伝達の段階で機能する。
・Cer1のない線虫の個体では、学習効果が保持されない。
・学習した線虫のの馴化培地で、学習の水平伝播が起こる。
一般に、「記憶」という言うものは、神経細胞同士のシナプスの結合の
構造的、機能的な変化によるものと考えられています。(シナプス可塑性)
このため、世代を超えた記憶の継承はないと考えられてきました。
これは、生殖細胞になるときには、ゲノムの修飾情報は一旦リセットされるため、
体細胞と異なるという説に起因しています。(Weismannバリア)
しかし、いくつかの動物で、この法則に反した研究報告がでてきました。
https://www.nature.com/articles/nn.3594
これの説明は、生殖細胞になってもエピゲノム修飾と呼ばれる一部のDNA情報
(ゲノムそのものは同じだがDNAのメチル化状態など)は保存されるというものですが、
この是非とめぐって、引き続き議論が起こっている最中です。
https://www.nature.com/articles/s41467-018-05445-5
この研究では、線虫(C. elegans)という非常に小さな無脊椎動物をもちいて、
世代を超えた学習について、その仕組みを明らかにしました。
線虫は自然界では大腸菌を餌に生活していますが、
緑膿菌(Pseudomonas aeruginosa,PA14)に対して初め餌と認識し、
無垢な線虫たちは寄っていくそうです。
ところが、線虫が2,3日で死ぬほどの緑膿菌には毒性があり、それを学習すると、
学習した線虫は忌避行動をするようになるそうです。
筆者らは、先行研究で、この学習が、世代を超えて第4世代まで伝わり、
この仕組みとして緑膿菌のRNAで、P11という遺伝子をコードしないRNA
(non-coding RNA, ncRNA)が生殖細胞に働き、発生後の
ASI感覚神経の遺伝子を制御するということを見つけました。
https://www.nature.com/articles/s41586-020-2699-5
この研究は、このメカニズムを調べた続報ということになります。
今回の論文では、新しく、Cer1レトロトランスポゾンがコードする、
Virus-like Particle(VLP)が、この記憶伝達に必要だということを示しました。
まず、トランスポゾンですが、転移因子とも呼ばれますが、
RNAを転写、逆転写、遺伝子再挿入を繰り返して、自身のコピーを増幅させ、
一般には、細胞の遺伝子の変異を起こしたりする迷惑なものです。
このトランスポゾンがコードしている、VLPが重要だというのです。
ウイルスはキャプシドと呼ばれる殻の構造に包まれているため、
むき身のRNAより分解を受けにくくなっています。
筆者らは、このVLP構造にP11が入っていて、これが生殖細胞に作用すると、
示そうとしています。
<論文の流れ>
・世代を超える記憶は、ナイーブな線虫にも水平伝達される。
忌避行動を学習した線虫をすり潰し、溶解物に学習前の線虫にさらすと、
24時間後のテストで、緑膿菌に対して忌避行動を示すようになった。
この忌避行動は、緑膿菌に選択的で、同じグラム陰性桿菌の、
Pseudomonas fluorescens、Serratia marcescens
には、忌避行動を示さなかった。
・溶解物のVLPで、記憶が水平、世代を超えて伝播する。
前回の論文の流れでRNAが関連しそうだということが分かっているが、
RNA分解酵素を溶解物に作用させても忌避行動を抑えられなかった。
→なぜか?RNAは守られているのではないか?
ということで、VLPの存在を疑った。ウイルス様粒子なので、
ウイルスを抽出するように遠心して、その分画を作用させると、
忌避行動を示したので、ますます怪しいということになった。
(この辺りは、サスペンスを読んでいるようなワクワク感があります)
・Cer1が、超世代記憶の獲得に必要である。
VLPが怪しいということで、先行研究でVLPを作ると知られているCer1を疑った。
ここから、前回のショウジョウバエと同様に、モデル生物、線虫の本領発揮です。
Cer1に変異があり発現されない(都合の良い)線虫のラインCer1(-)を使うと、
緑膿菌に対する忌避行動が抑制された。
この抑制により、忌避行動に関与するASI神経の活性も抑えられていた。
・Cer1は、水平記憶伝達において送り手と受け手の両方に必要である。
このCer1(-)のラインにP11を投与した線虫をすり潰した溶解物を使うと、
学習は成立しなかった。電子顕微鏡で、溶解物を見ると、
VLP構造は、野生型で確認されるが、Cer1(-)では見られなかった。
ここで、受け手を調べるために新しいラインが出てきます。
sid-2は、腸に発現するRNAトランスポーターで、PA14のRNAの取り込みに
関与しますが、これのノックアウト変異でも関係なしに、記憶が成立した。
→腸以外から取り込まれている?
glp-1変異では、生殖細胞ができないラインで、これでは学習が成立しない。
Cer1(-)でも、学習は成立しなかった。
・Cer1は、忌避行動をするための生殖細胞の状態の伝播に必要である。
次に、ノックアウト(恒久的に遺伝子がない)のラインでなく、
ノックダウン(一時的な遺伝子発現低下)の実験を行い世代間伝播を見た。
sid-2を一時的に低下しても、後の世代でも学習は成立する。
prg-1のノックダウンで生殖細胞を一時的に除去すると、学習が消去される。
daf-7のノックダウンをすると、ASI神経の活動?が落ち、忌避行動が抑制。
しかし、その後の世代では忌避行動は回復する。
これらの結果は、生殖細胞に記憶は保存されていて、
ASI神経細胞は、忌避行動の実行にのみ使われていることを示している。
Cer1のノックダウンをすると、忌避行動は一時的に抑制され、
その後の世代で忌避行動が回復した。(daf-7と同じ動き)
→つまり、Cer1も忌避行動の実行にのみ使われている?
→では、記憶の保持はどのような仕組みなのか?
・野生型の線虫のラインの超世代忌避行動学習能力は、Cer1発現と相関している。
ここで、たくさんの線虫の野生型のラインが出てきます。
全てゲノムは読まれているので、Cer1の遺伝子がどうなっているかが分かっています。
この中で、特にCB4856 (‘‘Hawaiian’’)というラインに注目しています。
これまで使っていたコントロールのN2ラインと比べて、
Hawaiianは、Cer1が挿入されていないというのが特徴で、
予想通り、PA14の忌避行動を学習しませんでした。
これらのラインを免疫染色でCer1の発現をみてやると、
忌避行動を学習の有無と、Cer1の発現の有無が一致していることが分かりました。
・Cer1は、馴化培地による水平記憶伝播に必要である。
P11で学習した線虫のConditioned medium(馴化培地)を使って、
線虫を培養し、24時間後に実験を行ったところ、忌避行動を獲得していた。
Cer1(-)のラインは馴化培地による忌避行動を獲得できなかった。
すなわち、線虫はおそらくVLPの形で環境にシグナルを放出している可能性がある。
馴化培地で学習した線虫でもdaf-7の発現は上がっていた。
馴化培地には、色々な別の物質が含まれている可能性があり、
フェロモンを生産できないdaf-22のラインを使っても、学習は起きることが分かった。
線虫が細胞外に、何かを放出する可能性として、小胞放出に関わる、
MAPKの変異ライン(pmk-1)を使っても学習獲得が起こったことから、
小胞による物質の放出が学習を引き起こしているわけではなさそうです。
最後にVLPの想定の下、ウイルス抽出過程を経た、馴化培地で
実験を行ったところ、線虫は忌避行動を示した。
・哺乳類での超世代間学習の是非について
>以前、学習したプラナリアを食べさせると、食べたプラナリアが学習している!
(マジか!)って話があったけど、同じような仕組みなのかな?と想像した。
>一方で、マウスの嗅覚の仕事はちょっと違う話になりそう。
https://www.nature.com/articles/nn.3594
>哺乳類にはまだ隔たりがある印象。
・glp-1変異のデータが一致しない?
>Lysate溶解物の実験で、glp-1変異で第一世代が獲得もできないのはなぜだ?
・記憶の保持はどのような仕組み
>生殖細胞に記憶がストックされているらしいことは何となくわかったけど、
P11のRNAは逆転写されてどこかの遺伝子(plg-1?)に組み込まれているのだろうか?
・なぜ第5世代は伝わらないのか?
>第4世代まで保持されていて、きれいに第5世代では消えているのはなぜだろうか?
・ものすごい嗅覚はExosomeを感受している?
>線虫は、感受性が強いことが知られているので、Cer1のVLPと同じような仕組みで
ExosomeのRNAも感受している可能性があるのかもしれないですね。
動物は外部と内部の両方の危険に直面しています。病原体は、外部環境から脅かし、一方で不安定なゲノム要素は内部から個体を脅かします。 C. elegansは、細菌の低分子RNAを「読み取る」ことで病原体から身を守り、この情報を使用して逃避行動を誘導し、4世代にわたって記憶を伝達します。ここでは、Cer1レトロトランスポゾンにコードされたウイルス様粒子を介して、溶解した個体や、動物で調整した培地からナイーブな動物に記憶を移すことができることを発見しました。さらに、Cer1は生殖細胞系列からニューロンへの情報伝達の段階で内部的に機能し、学習された逃避行動に必要です。野生のC. elegans株におけるCer1レトロトランスポゾンの存在は、small-RNAによって誘発される病原体回避を学習および継承する能力と相関しています。総合すると、これらの結果は、C。elegansが潜在的に危険なレトロトランスポゾンを採用し、代わりに組織間シグナル伝達能力を通じて一般的な病原体から自身とその子孫を保護し、このゲノム要素を乗っ取って獲得免疫の利益を得たことを示唆しています。
RS Moore et al., Cell. 2021